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宮崎地方裁判所 平成9年(ワ)520号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

宮田尚典

被告

乙川一郎

被告

乙川花子

右両名訴訟代理人弁護士

羽成守

菅谷公彦

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して二九三万一七四八円及びこれに対する平成六年八月一六日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して二六〇〇万円及びこれに対する平成六年八月一六日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告乙川花子(以下「被告花子」という。)が被告乙川一郎(以下「被告一郎」という。)所有の普通乗用自動車を運転していた際、自転車で走行中の原告に衝突し、打撲、外傷性頚部症候群等の傷害を負わせたほか、自動車恐怖症を症状とする外傷後ストレス障害(post-traumatic stress dis-order、「PSTD」と略称される。)の後遺症を残すことになったとして、原告が、被告花子に対し民法七〇九条に基づき、被告一郎に対し自賠法三条に基づき、連帯して、被った損害の内金二六〇〇万円及びこれに対する右事故日である平成六年八月一六日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠により明らかに認められる事実

1  被告花子は、平成六年八月一六日午後四時五五分ころ、被告一郎が所有する普通乗用自動車(登録番号―〈省略〉、以下「加害車両」という。)を運転し、青森県弘前市大字代官町〈番地略〉所在の交差点を右折しようとした際、横断歩道を自転車に乗って走行していた原告(昭和五〇年七月五日生まれ)の右側面に衝突した(以下「本件事故」という。)(本件事故の際、原告が横断歩道上を走行していたことにつき、甲三四及び原告本人。その余の事実は争いがない。)。

原告は、本件事故により、加害車両のボンネット上に投げ出され、頚部、腰部を打撲したが、正常時のように動くことができたことから、被告花子のところに行き、免許証を見せて欲しいなどと話をした後、被告花子は、車を車道脇に寄せたいと言って車に乗り、結局、警察に報告するなどの手続をとらないまま走り去った(甲三四、乙二、原告本人)。

2  原告の本件事故前後の生活状況及び本件事故後の治療の概要は次のとおりである。

(一) 原告は平成六年四月に弘前大学農学部に入学し、それに伴い、愛知県大府市の実家から弘前市に引っ越し、学生生活を送っている際、本件事故に遭遇した(争いがない。)。

なお、原告は、弘前大学農学部への入学は不本意なものであったことから、在学中も獣医等になるために受験勉強を継続していた(甲八、原告本人)。

(二) 原告は、本件事故日の平成六年八月一六日から弘前市大字本町五三番地所在の弘前大学医学部附属病院整形外科において診察を受け、レントゲン撮影等の検査の結果骨折や能外傷はなかったものの、打撲により頭頚部や背部に痛みがあり、腰背部打撲傷、頭部打撲、外傷性頚部症候群と診断されて、通院治療を続けていた。整形外科における治療は同年九月一九日に終了している。

右治療の際、原告は、本件事故以降歩行が恐ろしい、睡眠不足が続いているなどと訴え、神経精神科の受診を希望したため、同年九月一四日から、神経精神科においても受診することとなり、カウンセリング及び投薬治療を受けた。同神経精神科の医師は、原告の症状を外傷性後遺症(外傷性神経症)、神経症、心的外傷後ストレス障害と診断しているが、賠償神経症も考えられるとの意見も付している。

なお、原告は、同年九月一九日、自宅でけいれん発作を起こして倒れたことから、自ら救急車を呼び、同病院に搬送されたことがあった。

同病院整形外科及び神経精神科における通院期間は、平成六年八月一六日から同年九月二八日までである(実通院日数一二日)。

(甲三、六の1ないし5、七、八)

(三) 原告は、同年一〇月一日、弘前大学を休学し、愛知県大府市の実家に帰った(争いがない。)。

(四) 原告は、同年一〇月七日から平成七年三月二四日まで、愛知県刈谷市住吉町〈番地略〉所在の刈谷総合病院神経科において、心因反応と診断され、カウンセリング等の治療のため通院した(実通院日数一三日)。同病院の医師は、陪審神経症は否定されてよいと思うとの意見を付している。

原告は、初診当初は、外出するとはねられた瞬間が思い出されるなどと、外出時の不安を訴えていたものの、同年三月ころまでには外出時の不安もやや軽減し、日常生活を送るには支障のない程度にまで不安は軽減した。

(甲九の1、2、一〇)

(五) 原告は、同年三月宮崎大学農学部に合格し、同大学に通学するため、宮崎市に転居した(争いがない。)。

(六) 原告は、同年四月一一日に、宮崎市大字恒久〈番地略〉所在の野崎病院においてカウンセリングを受けたが、カウンセラーの質問等に嫌悪感を抱き、同病院での治療を継続することは困難と考え、他の病院へ行くこととした(実通院日数一日)(甲一一ないし一三)。

(七) 原告は、同月一三日から平成八年一一月二一日まで、宮崎市高千穂通〈番地略〉所在のあいクリニックにおいて、自動車恐怖症との傷病名のもとに抗不安薬による投薬治療及びカウンセリングの治療を受けるため通院した(実通院日数八〇日)。

なお、原告は、平成九年二月五日に診断書等の交付を受けるため、同クリニックへ赴いている。

(甲一四ないし一七、一九ないし二四)

(八) 原告は、症状固定日を平成八年一二月五日、傷病名を自動車恐怖症として、自賠責保険により後遺障害等級一四級一〇号に認定された(甲一七、一八)。

(九) 原告は、精神疾患の病名をPTSD(外傷後ストレス障害)とする診断書に基づき、平成九年一一月二六日、宮崎県より、障害等級三級の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第四五条の保健福祉手帳の交付を受けた(甲二六、二七、二八の1、2)。

(一〇) 原告は、同年八月五日から現在まで、鹿児島県曽於郡志布志町安楽〈番地略〉所在の病院芳春苑の精神科、神経科において通院治療している(甲二五、原告本人)。

3  本件事故の後、原告、父甲野敬治及び被告らとの間で、被告らが原告らに対し本件事故により原告が被った物的損害二万四五〇〇円(被告らの責任を一〇〇パーセントとして計算したもの。)を支払う旨の示談が成立した(甲四)。

また、原告は、本件事故に伴う人的損害に関し、東北自家用自動車共済共同組合から一万六四八〇円、自賠責保険から一三三万四一一〇円をそれぞれ受領した(弁論の全趣旨)。

二  争点

1  損害額

(一) 原告の主張(請求額は、次の(1)ないし(8)の合計額の内金二六〇〇万円)

(1) 治療費 六〇万〇五九〇円

原告は、弘前大学医学部附属病院、刈谷総合病院、野崎病院及びあいクリニックにおける治療費及び文書料として、少なくとも頭書金額を費やした。

(2) 通院交通費 八万四五四〇円

原告は、弘前大学医学部附属病院、刈谷総合病院、野崎病院及びあいクリニックへ通院するための交通費として、頭書金額を費やした。

(3) その他交通費

一四万六八〇〇円

ア 原告の父母及び兄稲夫は、原告をタクシーに乗せて原告の症状の原因を調査したが、右タクシー代として一万一一六〇円を費やした。

イ 原告は、本件事故現場があり被告花子が居住する弘前市で生活することは、心の傷を癒すのに不適当であったことから、弘前市から転居したが、右転居に二万二一五〇円を費やした。

ウ 原告の父母は愛知県から、兄三郎は福島県から、それぞれ原告の症状を確かめ付き添うために弘前市へ赴いたが、そのための交通費として、一一万三四九〇円を費やした。

(4) 逸失利益

四七二七万〇三〇六円

原告は、本件事故及びひき逃げという被告花子の対応により、自動車に対し身体症状(呼吸困難感、動悸、めまい、過呼吸発作)を伴う外傷後ストレス障害になり、運転免許を取得できず、バスや自動車に乗る際には発作が出ることがあり、こうした症状からすれば、徒歩通勤が可能な会社において社外に出ることのない事務の仕事をするという勤務形態に限定される。また、多くの企業が社員の採用に際し運転免許の取得を条件としている。このような状況を考慮すると、原告は、就労可能な六七歳までの間、労働能力の三〇パーセントが喪失したものというべきであり、これによる逸失利益は、四四〇七万四三〇六円となる。

また、原告は、本件事故により、事故現場のある弘前市を離れることが必要となり、宮崎大学を受験し入学したが、結局、大学を卒業するのが一年遅れ、早くとも平成一一年四月にならなければ就職できないこととなった。これによる原告の逸失利益は、三一九万六〇〇〇円である。

(5) 通院慰謝料 一五〇万円

原告の通院期間、実通院日数に照らし、一五〇万円が相当である。

(6) 後遺症慰謝料 二〇〇万円

原告の自動車恐怖症という後遺症の状況に加え、被告花子が本件事故の際ひき逃げをしていることや、そのことが原告の自動車恐怖症を増悪させる要因である可能性があることを考慮すると、二〇〇万円が相当である。

(7) 損害の填補 一三五万〇五九〇円

(8) 弁護士費用 五〇〇万円

(二) 被告の主張

原告主張の損害額は争う。なお、通院治療の必要性及び逸失利益について次のとおり反論する。

(1) 通院治療の必要性について

宮崎大学に入学するまでに、日常生活を送るには支障のない状態まで回復しているから、それ以降の治療の必要性は認められない。

(2) 自動車恐怖症に伴う逸失利益について

原告は自動車恐怖症を症状とする外傷後ストレス障害になったと主張するが、外傷後ストレス障害は、①自己の生命が危機に置かれるなどの重大な出来事に遭遇した、②自己が遭遇した恐ろしい苦痛な情景そのものが自己の意思と無関係に想起される侵入という症状が生じる、③起点となった恐怖の出来事から回避しようとする心理状態として、全般的反応性の麻痺や、外傷と関連した思考や感情、外傷を想起させる活動等を避ける、という一般的診断基準が挙げられるが、本件事故の状況及び原告の症状は右基準に該当するものではない。また、外傷後ストレス障害の持続的覚せい亢進症状として、「入眠または睡眠持続の困難」「易刺激性または怒りの爆発」「集中困難」「過度の警戒心」「過剰な驚愕反応」等が挙げられるが、原告の場合は、やや不眠状態にある傾向が認められるのみである。したがって、原告には外傷後ストレス障害との診断名を付することができない。

原告は、日常生活を送るには支障のない状態であり、労働能力の喪失を考慮する余地はない。

また、原告は、呼吸困難、動悸、めまい、過呼吸発作といった症状を主張するが、これらの症状は、原告が中学時代、高校時代に既に発症していたから、仮に、原告に何らかの神経症状が認められるとしても、その原因は、専ら原告の性格的素因に基づくものであるというべきであり、本件事故が原告の現症状に何らかの影響を与えたとしても、その寄与度は極めて低い。

第三  争点に対する判断

一  損害額の認定に先立ち、原告の後遺症及び本件事故と同後遺症との因果関係について検討する。

1  甲二六、原告本人によれば、原告は、外出時に車が何台か通ると頭痛、吐き気、動悸を催し、三、四か月に一回程度は過呼吸発作に至るという症状(自動車恐怖症)であり、運転免許を取得できないし、バスや自動車に乗ることも右身体症状を呈する可能性があり困難な状況にあること、しかし自動車に関することを除けば、日常生活は支障なく営むことができることがそれぞれ認められる。

2 そして、右症状について、原告は外傷後ストレス障害であると主張するのでこの点につき検討する。

(一)  高橋三郎ら訳「DSM―Ⅳ精神疾患の診断・統計マニュアル」(甲三二)、飛鳥井望著「災害と精神の障害(日医雑誌第一一九巻第九号)」(甲五八)、小西聖子による財団法人日弁連交通事故相談センター設立三〇周年記念講演「犯罪被害者のトラウマ」(甲六一)によれば、外傷後ストレス障害とは、強度の外傷的出来事に遭遇し、それに伴い再体験症状、回避及び麻痺症状、覚せい亢進症状等が現れることを特徴とする精神障害であり、米国精神医学会の診断基準である「DSM―Ⅳ」(以下「DSM―Ⅳ基準」という。)によれば、別紙診断基準記載の条件を設けていることが認められる。

(二)  外傷的出来事(DSM―Ⅳ基準A)についてみると、前記第二の一記載のとおり、原告は、本件事故の際、加害車両のボンネット上に投げ出されたものの、骨折や脳外傷はなく、打撲により頭頚部や背部に痛みがあった程度であり、整形外科での治療は約一か月で終了している。また、本件事故の後に、原告は、被告花子のところに行き、免許証を見せて欲しいなどと比較的冷静な対応をしている。

そして、外傷的出来事について、DSM―Ⅳ基準Aによれば「実際にまたは危うく死ぬないし重症を負うような、あるいは自分または他人の身体的保全が脅かされるような」出来事とされていること、また、前掲甲三二、五八及び六一によれば、外傷的出来事として、戦争体験、阪神・淡路大震災等の天災、犯罪被害、航空機事故、激しい自動車事故また致命的な病気だと診断されること等の例示が挙げられていることが認められ、DSM―Ⅳ基準や例示された右各事案と比較すると、本件事故は軽微なものであり、原告が事故後に冷静に対応していることからしても、本件事故が、外傷後ストレス障害を誘発するような強度の外傷的出来事にあたるとすることはできない。

なお、森山成著「心的外傷後ストレス障害の現況(精神医学・三二(五)」(甲六七)によれば、全盲人が安全なはずの横断歩道での交通事故により外傷後ストレス障害になった事例が紹介されていることが認められるが、やや特殊な事例であるから、これを本件に当てはめることはできない。

(三)  また、再体験症状(DSM―Ⅳ基準B)についてみると、筑波大学社会医学系精神衛生学助教授佐藤親次作成の鑑定書(乙二)及び同証人によれば、再体験症状とは自己が遭遇した恐ろしい情景そのものが自己の意思と無関係にありありと想起される状態をいうことが認められるが、原告本人によれば、原告は事故のことが頭に浮かび、夢にも出てくるが、当時の事故がよみがえるのではなく、例えば、自分が歩道橋で過呼吸を起こしながら苦しんでいるところに、隣に車が止まっているとか、自分の目の前を車が横切っている夢を見ることが認められ、そうすると原告は、必ずしも本件事故そのものを再体験しているとはいえず、DSM―Ⅳ基準Bの再体験症状に該当するか否かについては疑問が残る。

(四)  回避及び麻痺(DSM―Ⅳ基準C)ついてみると、外傷と関連した思考、感情あるいは外傷を想起させる活動等を避けようとすることなどが条件とされるところ、甲一一によれば、原告は、年間の交通事故件数や死亡者数を調査するなど、自動車事故の危険性について自発的に関わっていることが認められ、原告の症状がDSM―Ⅳ基準Cに該当するか否かについても疑問が残る。

(五)  そして、前掲乙二及び証人佐藤親次によれば、同人も、①外傷的出来事(DSM―Ⅳ基準A)について、外傷性ストレス障害の契機となる外傷的出来事としては、本件事故は軽微であること、②再体験症状(DSM―Ⅳ基準B)について、自己が遭遇した恐ろしい情景そのものが自己の意思と無関係にありありと想起されることが重視されるが、原告はそうした症状が乏しいこと、③回避及び麻痺(DSM―Ⅳ基準C)について、原告が、本件事故後、ごく早期から、一回性で個別の具体的交通事故を普遍・抽象化してその危険性を訴え、社会を啓蒙する姿勢を示し、その姿勢が現在まで持続していることから、回避の症状は認めがたいとの意見を述べていることが認められ、その判断過程について不合理な点は認められない。

(六)  以上の事実関係からすれば、原告の症状が外傷後ストレス障害に該当するということはできず、その他に原告の症状が外傷後ストレス障害に該当することを認めるに足りる証拠はない。

3(一)  しかし、原告には、頭痛、吐き気、動悸、過呼吸発作を伴う自動車恐怖症の症状が認められることは前記のとおりであり、原告の同症状が外傷後ストレス障害という傷病名の範疇に属さないものであっても、原告が自動車に対する恐怖心を抱くようになったのは本件事故の後であり、また、自動車に衝突されるという本件事故の結果その加害原因たる自動車に恐怖心を抱くようになったという事実経緯からみれば、原告の同症状は、本件事故に起因するものと推認される。

(二)  右症状の原因について、前掲乙二、証人佐藤親次によれば、原告の症状を惹起した要因として、①事故の発生、②弘前大学に在学しながら、他大学を受験するため勉強を続けていたという切羽詰まった生活を送るという環境的要因、③原告自身の性格的要因が考えられること、原告の性格的要因として、兄達への手前・父の取っつきの悪さから「甘えたくても甘えられない」という依存欲求を満足させることの不得手な葛藤を抱えやすい傾向と思い通りにならないとけいれん発作・過呼吸発作になりやすい傾向があり、未熟、強迫的、硬化した思考様式などとして目立つ神経症的性格の持ち主で、些細なきっかけで容易に不安発作を呈しやすい、不安耐性に乏しい性格が挙げられることが認められる。

そして、甲一四、七〇、原告本人によれば、原告は、中学時代に所属していたバレーボール部の練習試合の後、部員達や監督から悪く言われるなどしたため、怒りの余り、体がけいれんし、涙が出て、うめき声を出して自分ではどうしようもない状態になったことが二度ほどあることが認められ、右症状が過呼吸発作ないし呼吸困難感を伴うものであったか否かは明らかではないものの、原告の不安耐性の乏しさの現れであるということができる。また、甲一四、一五によれば、原告は、あいクリニックにおけるカウンセリングの際に、「神経症的性格が今まで生きてきたことの原動力だったような気がする。」と述べていることが認められ、こうした事実は、原告の右性格的要因を裏づけるものである。

(三)  そして、前掲乙二、証人佐藤親次によれば、佐藤親次は、原告の現症状は、時間的関係から本件事故によるとも言えるが、その要因としては、極めて乏しいと言わざるを得ないとの意見を述べていることが認められること、前記のとおり、本件事故が通常であれば精神的障害を残すような強度の外傷的出来事とは言えないことなどを併せ考えると、本件事故に伴う損害のうち、原告に自動車恐怖症という後遺症が残ったことに伴う将来における逸失利益については、原告の本来的な性格的な要素が多大に寄与していることを考慮し、その五割を原告の負担とするのが相当である。

二  損害額について個別に検討する。

1  治療費 六〇万〇五九〇円

甲六の3ないし5、甲九の2、甲一二、甲二〇、二一、二三、二四によれば、弘前大学医学部附属病院、刈谷総合病院、野崎病院及びあいクリニックにおける治療費及び文書料として、少なくとも六〇万〇五九〇円を要したことが認められる。

なお、被告らは、少なくとも宮崎大学に入学して以降の治療の必要性は認められないと主張する。しかし、甲一四ないし一七、一九ないし二四、原告本人によれば、原告は、症状固定日である平成八年一二月五日ころには、生きていく自信を取り戻したという感じを持つようになったものの、それまでの間の原告の頭痛、吐き気、過呼吸等の症状は、治療が必要な程度であったことが認められるから、少なくとも平成八年一二月五日までの治療費については、本件事故と相当因果関係にあるものというべきである。

2  通院交通費 八万四二六〇円

原告は、弘前大学医学部附属病院に一二日、刈谷総合病院に一三日、あいクリニックに八一日(診断書等の取得のための日数を含む。)、それぞれ通院したことは前記のとおりであり、甲三八ないし四〇によれば、弘前大学付属病院、刈谷総合病院及びあいクリニックへの通院するのに要する交通費は、四〇〇円、三八〇円及び九二〇円であることがそれぞれ認められる。

そうすると、原告が右各病院に通院するのに要した交通費の合計額は、八万四二六〇円((400×12)+(380×13)+(920×81)=84,260)となり、同金額を超えて通院交通費を要したことを認めるに足りる証拠はない。

3  その他交通費

七万一九六〇円

(一) 原告は、原告の父母及び兄稲夫が原告をタクシーに乗せて原告の症状の原因を調査した旨主張するが、右費用は本件事故と相当因果関係にある損害ということはできない。

(二) 甲四九、五二、五三によれば、原告は弘前市から実家に帰るために二万二一五〇円を費やしたことが認められる。

原告が弘前市において単身で学生生活を送っていたこと、原告の症状等を考慮すると、原告が弘前市から一時期実家に帰るための費用として要した右交通費は、本件事故と相当因果関係にある損害というべきである。

(三) 甲四九ないし五五によれば、本件事故により、原告の父母及び兄稲夫が原告の居住する弘前市へ赴いたが、これに要した費用は、父が四万四五〇〇円、母が四万九八一〇円、兄稲夫が一万九一八〇円であることが認められる。

原告の症状、年齢等を考慮すると、少なくとも近親者一名の交通費は本件事故と相当因果関係がある損害というべきであり、四万九八一〇円(最も交通費を要した母を基準とする。)の範囲内でその損害と認める。

4  逸失利益

一七一万五五二八円

(一)(1) 原告の症状からすれば、原告は、今後就職するにあたっては、自動車を運転したり、バスや自動車を利用することのない勤務形態に限定されるであろうことが推認され、甲五九の1ないし3、六二によれば、求人案内誌や障害者休職情報には普通自動車免許の取得を条件としている会社が多いことが認められるから、就職する会社の選択に当たってかなりの制約があることが予想される。

しかしながら、原告本人によれば、原告は、宮崎大学まで三キロメートルの道のりを徒歩で通学し、在学中及び卒業後も信販会社等でアルバイトしていたことが認められ、原告の症状を前提にしても、普通自動車免許の取得を条件としていない会社等を選択して就職することが十分可能であるというべきであるし(なお、公共交通機関がより整備されている地域においては、交通手段として自動車が必要とされる程度はより低くなるはずである。)、右条件の有無によって得られるであろう収入が大きく減少するということもいえない。

原告の症状、就職する会社に一定の制約があること等を総合考慮すると、右症状による労働能力の喪失率は五パーセントとするのが相当である。

(2) 労働能力喪失期間については、今後、原告の症状が継続する可能性が否定できない以上、労働可能な六七歳に達するまでとするのが相当である。

(二) また、原告は、本件事故により、事故現場である弘前市を離れることが必要となり、宮崎大学を受験し入学したが、結局、大学を卒業するのが一年遅れ、早くとも平成一一年四月にならなければ就職できないこととなったとして、その一年間に得られるはずであった収入を逸失利益として主張する。

しかし、原告が自動車恐怖症になったことに伴い、事故現場に近づくことを避けようとする心理状態が生じることや、原告が本人尋問の際に、弘前市は歩道が余り完備されていなくてそういう土地に帰るのは苦痛で帰りたくなかったと述べていることなどを考慮しても、弘前大学を卒業することが不可能な状況であったというまでの事情を見い出すことができない上、原告は、弘前大学農学部に入学したものの、不本意な入学であり、在学中も獣医等になるために受験勉強を継続していた事情に照らせば、弘前大学を休学し、卒業が一年遅れたことに伴う損害と本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。

(三) 以上によれば、原告は、本件事故当時一九歳であり、弘前大学を卒業する予定であった二二歳から六七歳に至るまでの四九年間の就労期間において、平成七年賃金センサス第一巻第一表・男子労働者・産業計・企業規模計・旧大・新大卒の二〇歳ないし二四歳の年間平均給与額である三二〇万七三〇〇円の年収を得ることができたというべきであるから、新ホフマン係数(事故時から六七歳まで四八年間の同係数24.1263から、事故時から二二歳まで三年間の同係数2.7310を控除する。)を用いて中間利息を控除し、その労働能力喪失率五パーセント及び被告らの負担に帰すべき割合五〇パーセントを乗じて計算すると、右逸失利益は、次のとおり一七一万五五二八円となる。

3,207,300×(24.1263−2.7310)×0.05×0.5=1,715,528

5  通院慰謝料 七五万円

原告が、弘前大学医学部付属病院に一二日、刈谷総合病院に一三日、野崎病院に一日、あいクリニックに八〇日、通院治療したことは前記のとおりであり、右通院日数及び原告の症状等を考慮すると、原告が通院治療したことに伴う慰謝料は、七五万円が相当である。

6  後遺症慰謝料 八〇万円

原告が自動車恐怖症という後遺症を被ったことに対する慰謝料は、本件事故の態様、被告花子の本件事故後の対応、原告の症状及びその原因要素、その他諸般の事情を考慮すると八〇万円が相当である。

7  損害の填補

一三五万〇五九〇円

原告は、前記のとおり、本件事故による人的損害について、東北自家用自動車共済共同組合及び自賠責保険から合計一三五万〇五九〇円の支払を受けた。

8  弁護士費用 二六万円

原告は、本件訴訟の提起及び遂行を弁護士である訴訟代理人に委任したが、そのため費用として二六万円が本件事故と因果関係のある損害と認める。

三  以上によれば、原告の被告らに対する請求は、二九三万一七四八円及びこれに対する本件事故日である平成六年八月一六日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官前田郁勝)

別紙診断基準〈省略〉

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